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東京地方裁判所八王子支部 昭和62年(ワ)371号 判決

原告

福富慎

福富宏

福富陽子

右三名訴訟代理人弁護士

榊原卓郎

武山信良

塚越豊

被告

東義高

右訴訟代理人弁護士

高田利廣

小海正勝

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告福富慎(以下「原告慎」という。)に対し、金二六二四万一九七九円、原告福富宏(以下「原告宏」という。)及び同福富陽子(以下「原告陽子」という。)に対し、各金一三六二万〇九八九円並びにこれらに対する昭和六二年三月二四日から支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

原告慎は、亡福富保夫(以下「保夫」という。)の妻であり、原告宏及び同陽子は、いずれも原告慎と保夫との間の子である。

被告は、肩書住所地において、東クリニックの名称で外科、内科、胃腸科、皮膚科、肛門科の医院(以下「被告医院」という。)を開業している医師である。

2  保夫の死亡に至る経緯

(一) 保夫は、昭和五九年八月中旬ころから、下痢に苦しむようになり、同月一五日、被告医院において、被告の診察を受けたところ、「胃腸炎」ないし「神経性の下痢」と診断されて服薬するよう指示され、以後、昭和六〇年四月初旬ころまで約八か月間にわたって定期的に被告医院に通院し、被告の診察を受け、服薬を続けた。

(二) 被告は、昭和五九年一二月二一日、被告医院において、保夫に対し、胃腸バリウム検査を実施し、検査結果として、「便が残っているが、大丈夫である。」との説明をした。

(三) 被告は、昭和六〇年二月四日、保夫に対し、保夫の便に潜血反応が認められる旨の診察結果の説明をした。

(四) 被告は、同月七日、財団法人自警会東京警察病院(以下「警察病院」という。)において、保夫に対し、直腸鏡検査を実施し、検査結果として、「検便の結果は血液反応が認められるものの、異常は認められない。」との説明をした。

(五) 保夫は、被告医院への通院中、服薬を続けてみても症状が一向に回復せず、血便があり、同年三月初旬ころには下腹部にグリグリしたしこりができていることなどから、素人ながらも異常を感じ、そのことを被告に対し訴えていた。また、原告慎も、保夫の様子を見て、これまた素人ながらも異常を感じ、警察病院でより精密な検査を受けるように勧めていた。

しかし、被告は、保夫がこのように素人でさえも異常を感じているような状態であるにもかかわらず、より精密な検査をすることも勧めることもせず、単に同じ服薬を続けさせるのみであった。

(六) 保夫は、その後も被告医院に通院して診療を受けていたが、症状は一向に回復しないため、警察病院で診察を受けることとし、同年四月九日、警察病院において大沢寛行医師の診察を受けたところ、同医師から「結腸癌」と診断され、即刻入院を命じられた。

(七) 保夫は、同月一五日、警察病院に入院して、手術を受けたが、既に癌は結腸から他に転移していて、回復できず、その後、一度は帰宅を許されたものの、同年一一月に再び警察病院に入院し、昭和六一年一月二三日、五八歳で死亡した。

3  責任原因

(一) 被告は、当初、保夫の症状を「胃腸炎」ないし「神経性の下痢」と診断したが、その時点で保夫は直腸癌又は結腸癌の疾患を容易に推測し得る初期症状に襲われていた。したがって、医師としては、この時点において、保夫の直腸癌又は結腸癌の罹患を疑うべき注意義務があり、かつ、直ちにその罹患の有無について検査をして結腸癌を発見し、最善の治療をなすべき義務を負っていたのにこれを怠った。

(二) その後、被告は、約八か月間にわたり、定期的に保夫を診察していたところ、その間、神経性下痢に有効に作用する筈の薬を服用させても症状が一向に回復せず、細い軟便が継続していたこと、下腹部痛があること、腸に便が残っているというX線検査結果を得ていること、便潜血反応が陽性であったこと、保夫から下腹部にしこりがある旨を告げられていたこと、日本人の場合大腸癌の年齢分布は五〇歳から急に多くなっているところ、保夫は五七歳の男性であったことなどを総合すれば、医師としては、当然、胃腸炎という診断に疑いを抱き、直腸又は結腸の重大な疾患の存在を疑うべきであって、これを予測して、大腸の重大な疾患の発見に必要不可欠な検査である注腸バリウム検査ないしは大腸内視鏡検査を早期に行い、癌を発見してその治療に努めるべき義務を負っていたにもかかわらず、安易に胃腸炎ないし神経性の下痢と誤診して、漫然と同じ薬を服用させるだけの診療を続けた点は、医師として当然なすべき義務を怠ったものといわざるを得ない。

特に、被告は、昭和六〇年二月七日に、警察病院において、保夫に対し初めて直腸鏡検査を行っているが、その際、更にS状結腸から上の結腸についても検査することのできる直腸バリウム検査ないし大腸内視鏡検査をなすべきであり、これらの検査を実施すれば結腸癌を発見できた筈なのに、直腸鏡検査をしたのみで異常がないという診断をしているのであって、このころに至っても、被告は、保夫の症状について胃腸炎以外の疾患を疑おうとしなかったのである。

(三) 被告は、右のとおり、医師として保夫の診療をするに際し、適切な診断をせず、あるいは、適切な診断をするための検査をすることを怠った点において、保夫に対しては、診療契約上の債務の不完全履行の責任を、原告らに対しては不法行為による責任をそれぞれ負うというべきである。

4  因果関係

保夫は、約八か月間にわたり、被告医院に通院し、被告の診療を受けていたが、高度の専門知識を有する医師であれば、保夫の症状からみて、容易に発見し得た結腸癌を被告の誤診によって発見されず、前記大沢医師によって癌が発見されたときは、既に手遅れの状態であった。

被告が医師として通常の注意義務を怠っていなければ、保夫の結腸癌は早期に発見でき、患部の切除により転移を回避することも、また、進行を抑えることもできた筈である。そして、仮に、被告が保夫の結腸癌を早期に発見していれば、保夫は、患部の切除により相当期間延命することができた。

5  損害

(一) 保夫の損害

(1) 逸失利益 金三二四八万三九五九円

保夫は、死亡当時満五八歳であり、五八歳の男子の平均余命は20.83年であるが、仮に右平均余命を全うすることができなかったとしても、結腸癌の早期発見、治療が行われていたとすれば、現代の医学水準からみて、一〇年位は延命できたと思料され、その間、少なくとも九年間は従来どおり第一港運株式会社の従業員として稼働できたと思料される。

保夫の昭和五八年度の年収は金六六三万三〇〇三円であり、昭和五九年度の年収は金七一〇万二五三円であり、平均するとその年収は金六八六万六六二八円である。したがって、保夫の九年間の逸失利益は生活費三五パーセントと中間利息年五パーセントを控除して算出すると、その額は金三二四八万三九五九円である。

(2) 慰謝料 金一〇〇〇万円

保夫は、身体の変調を自覚し、約八か月間にわたり、被告から十分な診療を受けられるものと信頼して、被告医院に通院して投薬を受けていた。しかし、被告医院においては、十分な診療を受けることができず、結腸癌が発見されたときは既に手遅れの状態であった。

したがって、保夫の無念さを思うと、同人の被った精神的損害は筆舌に尽くし難く、金銭に見積もり難いが、少なくとも金一〇〇〇万円の支払をもって慰謝するのが相当である。

(二) 原告らの損害

保夫の妻である原告慎並びに子である原告宏及び同陽子は、保夫が被告から適切な診療を受けていたら死亡しなかったかもしれないと考え、悔い悲しんでいる。

このような遺族を慰謝するためには、原告慎に対しては金五〇〇万円、原告宏及び同陽子に対しては各金三〇〇万円の支払をもってするのが相当である。

6  相続

保夫の死亡により、同人の財産に属した一切の権利義務につき、原告慎が保夫の妻としてその二分の一を、原告宏及び同陽子がいずれも保夫の子としてその各四分の一を、それぞれ承継した。

7  結論

よって、原告らは、被告に対し、いずれも被告の保夫に対する債務不履行及び原告らに対する不法行為に基づく各損害賠償請求として、原告慎については金二六二四万一九七九円、原告宏及び同陽子については各金一三六二万九八九円、及びこれらに対する訴状送達の日の翌日である昭和六二年三月二四日から各支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払をそれぞれ求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1(当事者)の事実は認める。

2  請求原因2(保夫の死亡に至る経緯)の事実について

(一) (一)のうち、保夫が昭和五九年八月一五日、被告医院において被告の診察を受け、被告が「胃腸炎」と診断して胃腸薬を処方し、以後、保夫が昭和六〇年三月三〇日まで、不定期的ではあるが被告医院に通院して被告の診察を受けたことは認めるが、昭和五九年八月一五日以前の保夫の経過は知らず、その余は否認する。保夫は、下痢ではなく、軟便を訴えて被告医院に来院した。

(二)のうち、被告が保夫に対し、「便が残っているが、大丈夫である。」と説明したことは否認し、その余は認める。

(三)は、日付の点を除き認める。被告が保夫に検便結果の説明をしたのは昭和六〇年二月一六日である。

(四)は、被告の保夫に対する説明内容を除き認める。被告は、保夫に対し、直腸に関しては特に異常はないが、便に潜血反応が認められるので他に病巣の疑いがあり、後記のとおり、再三にわたり注腸バリウム検査を受けるよう指示した。

(五)は争う。保夫は血便はなく、しこりを訴えておらず、被告による腹部触診でも下腹部に腫瘤は触れていない。被告は、保夫に対し、再三にわたり注腸バリウム検査を受けるよう強く勧めた。これに対し、保夫は薬も定期的に取りに来ない状態で診療や検査に消極的であった。

(六)のうち、保夫が昭和六〇年四月九日に警察病院を受診し、結腸癌(S状結腸狭窄)と診断されたことは認め、その余は知らない。

(七)のうち、保夫が同月一五日、警察病院に入院し、手術を受けたが、癌が結腸から他に転移していたこと、同人が同六一年一月二三日に五八歳で死亡したことは認め、その余は知らない。

(二) 保夫の診療経過は次のとおりである。

昭和五九年八月一五日(初診)

保夫の訴えは、一日五、六回、少量の細い軟便が出て、下腹部が少し痛いということであり、下痢ではなかった。そして、腹部触診では、平坦で軟らかく、圧痛もなく、しこりも触れず、直腸指診でも、出血がなく、腫瘤やポリープも触れなかったので、被告は胃腸薬を処方し、保夫に対し、薬を飲んで症状が変わらないようであれば、再び来院するよう指示し、再来の際には検便をする旨を話した。

同月二七日(二回目の来院)

服薬しても症状に変化が認められないため、被告は検便をするため保夫に検便容器を渡した。

同年九月三日(三回目の来院)

保夫が便を持参したので、被告はこれを検査に出した。同月六日ころ、潜血反応が認められる旨の右検便の結果報告書が届いた。

同月八日(四回目の来院)

被告が保夫を問診したところ、症状に変わりはなく、保夫は、一日三、四回の軟便が出るが、腹部は痛くなく、便に血はついていないと答えた。そこで、便に潜血反応が出ていることから、被告は精密検査をした方がいいと判断し、保夫に対し、胃腸バリウム検査、直腸鏡検査、注腸バリウム検査を受けることを勧め、胃腸バリウム検査は被告医院でできるが、直腸鏡検査と注腸バリウム検査は被告医院ではできず、警察病院で受けることができるので、警察病院での、検査を予約しましょうかと話すと、保夫は仕事が忙しくてなかなか休めないと答えた。

同月二五日(五回目の来院)

症状に変化がないため、被告は保夫に対し、精密検査(胃腸バリウム検査、直腸鏡検査、注腸バリウム検査)を受けることを勧めたが、保夫は考えておきますと答えたのみで、その後、約一か月間受診に来ない。

同年一〇月二〇日(六回目の来院)

症状に変化がないため、被告は保夫に対し、直腸鏡検査と注腸バリウム検査の検査内容を説明し、検査を受けるよう強く勧めたが、保夫は、検査に苦痛を伴うために受ける気がなく、その後、約二か月間受診に来ない。

同年一二月一八日(七回目の来院)

保夫は、腹部がときどき痛いと訴えたが、下痢はなく、その他の症状は変わらず、腹部触診でも特にしこりが触れない状態であったため、被告は保夫に対し、直腸鏡検査や注腸バリウム検査を受けるのがいやならば、被告医院において実施可能で、仕事も休まずに受けることができ、苦痛もない胃腸バリウム検査を受けるようにと話し、同月二一日、被告医院において、胃腸バリウム検査を実施することとした。

同月二一日(八回目の来院)

被告医院において、保夫に胃腸バリウム検査を実施した。

同月二二日(九回目の来院)

被告は保夫に対し、胃腸バリウム検査のX線写真を見ながら、「胃の方は大丈夫である。小腸にバリウムが残っているが、盲腸、上行結腸、横行結腸、下行結腸までバリウムは通過している。S状結腸から下の直腸についてはこの検査では分からず、ここに何かあるかも分からないから、是非注腸バリウム検査を受けなさい。」と検査結果を説明した。

同月二四日(一〇回目の来院)

胃腸バリウム検査の後にバリウムが便から出て保夫に腸閉塞の症状がなかったので、被告は少なくともバリウムの通過障害はないと判断した。

保夫に注腸バリウム検査を受ける様子が見受けられないので、被告は保夫に対し、「仕事も大事だが、体も大切だ。健康でなければ仕事もできない。悪いところを見つけて早く治しましょう。」と話し、注腸バリウム検査を受けるために仕事を休める日を連絡してくるよう促した。しかし、その後、保夫からは何の連絡もなく、また、約一か月間受診にも来なかった。

昭和六〇年一月三〇日(一一回目の来院)

保夫の一般症状は変わらず、腹部触診でも軟らかく、しこりも触れなかった。そこで、被告は再度検便をするため保夫に検便容器を渡した。

同年二月四日(一二回目の来院)

保夫が便を持参したので、被告はこれを検査に出した。

被告は保夫に対し、再度注腸バリウム検査を受けるよう指示したが、保夫がいやがるので、まず、苦痛の少ない直腸鏡検査を受けさせることとし、警察病院での直腸鏡検査の予約をした。このとき、被告は保夫に対し、直腸鏡は肛門から二〇センチメートル位のところまでしか見えないので、S状結腸から上の結腸は、どうしても注腸バリウム検査でなければ、見ることはできないと十分に説明した。

同月七日

被告が、警察病院において、保夫に直腸鏡検査を実施し、その結果直腸に関しては特に心配ないと保夫に説明し、注腸バリウム検査を受けるよう勧めた。

同月一六日(一三回目の来院)

被告は保夫に対し、同月四日の検査の結果、潜血反応が出ていることを説明し、直腸鏡検査の結果、直腸は大丈夫であったが、S状結腸とその上の下行結腸等に何か病巣の疑いがあり、注腸バリウム検査をしないとどこに悪いものがあるか分からないので、注腸バリウム検査を受けるよう再度勧め、検査をする都合のよい日を連絡するよう促したが、保夫からの連絡はなかった。

同年三月一日(一四回目の来院)

保夫が被告に対し、便に少し血が付いていると初めて話した。

しかし、腹部触診では、平坦で軟らかく、しこりも触れず、直腸指診でも、出血がなく、腫瘤も触れなかったので、被告は保夫に対し、再度注腸バリウム検査を受けるよう勧めたが、保夫は返事をしなかった。

同月一一日(一五回目の来院)

被告は検便をするため保夫に検便容器を渡した。

被告は保夫に対し、注腸バリウム検査の必要性を再度説明したが、返事はなく、保夫は検査に消極的であった。

同月二三日(一六回目の来院)

保夫が便を持参したので、被告はこれを検査に出した。

同月三〇日(一七回目の来院)

検便の結果、潜血反応が二プラスになっており、どこかで少しずつ出血していると思われ、被告は保夫に対し、注腸バリウム検査を受けるよう強く説得したところ、保夫もようやく同検査を受ける気になり、同年四月九日、警察病院において同検査が受けられるよう予約した。被告は、同日は外来患者の手術日で同検査を自らすることができないので、大沢医師に検査を依頼した。

同年四月九日

保夫が、警察病院において、大沢医師による注腸バリウム検査を受けた。

検査後、大沢医師から被告に電話で、S状結腸狭窄(癌)との検査結果の報告があった。夕方、被告は、来院した保夫に対し、S状結腸狭窄の検査結果を伝え、入院して手術する必要があると説明し、一週間後の同月一五日に警察病院に入院することとなった。

3  請求原因3(責任原因)の事実について

(一) (一)のうち、被告が保夫の症状を「胃腸炎」と診断したことは認め、その余は争う。

(二)のうち、被告が保夫を診察していたこと、保夫の便の潜血反応が陽性であったこと及び保夫が五七歳の男性であったことは認め、その余は争う。

(三)は争う。

(二) 被告が、保夫の初診時に、腹痛、細い軟便の主訴で、腹部触診で腫瘤を触れず、直腸指診で出血がなく、ポリープを触れないという診察の結果、「胃腸炎」と診断して胃腸薬を投与したことは過失とはいえない。

その後、被告は、保夫に細い軟便の症状が継続し、便に潜血反応が認められた検査結果等から、上部消化管及びクローン病、潰瘍性大腸炎、大腸憩室等並びに癌の疑いがあると考え、これを前提として、前記のとおり、保夫に対し、再三、再四、注腸バリウム検査などの精密検査を受けるよう勧めたが、保夫は、被告医院に断続的にしか通院せず、検査を受ける気がなく、非協力的であった。医師が患者に対して諸検査を勧めて指示しても、患者に受ける意思がなければこれを実施することができず、医師はこれを強制することができないから、注腸バリウム検査の実施が遅れたことについて被告に責任はない。

4  請求原因4(因果関係)の事実は争う。

保夫の罹患していた癌は、進行癌であり、その推定進行度(Stage Ⅱ,Dukes B)によれば、一般論的には昭和六〇年四月の警察病院における手術時において、かなり高い一年生存率が得られる可能性があったが、本件の場合、術後経過が悪く保夫は一年間の生存もできず死亡してしまった。これは、保夫がかなり高い死亡率の悪質中の悪質な癌に罹患していたと理解すべきであり、仮に、被告が初診時に保夫の癌を発見して直ちに手術をしていたとしても、保夫の死亡は免れ得なかった。

なお、保夫の死亡は術後生じた合併症によるものであり、被告の診療とは相当因果関係がない。

5  請求原因5(損害)の事実は争う。

6  請求原因6(相続)の事実は認める。

7  請求原因7(結論)は争う。

第三  証拠〈省略〉

理由

一争いのない事実

請求原因1(当事者)の事実、同2(保夫の死亡に至る経緯)の事実のうち、(一)中の保夫が昭和五九年八月一五日、被告医院において被告の診察を受け、被告が「胃腸炎」と診断して胃腸薬を処方し、以後、保夫が昭和六〇年三月三〇日まで被告医院に通院して(通院が定期的か不定期的かについては争いがある。)、被告の診察を受けたこと、(二)中の被告が昭和五九年一二月二一日、被告医院において保夫に対し胃腸バリウム検査を実施したこと、(三)中の被告が昭和六〇年二月(日については争いがある。)、保夫に対し、保夫の便に潜血反応が認められる旨の検便結果の説明をしたこと、(四)中の被告が同月七日、警察病院において保夫に直腸鏡検査を実施したこと、(六)中の保夫が同年四月九日に警察病院を受診したこと、(七)中の保夫が同月一五日、警察病院に入院し、手術を受けたが、癌が結腸から他に転移していたこと、同人が同六一年一月二三日に五八歳で死亡したこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

二保夫の死亡に至る経緯について

右争いのない事実に、〈証拠〉を総合すれば、次の事実が認められる。

1  保夫は、昭和五九年八月一五日、被告医院を訪れ、被告に対し、二週間ほど前から一日五、六回の少量の細い軟便が出て、下腹部に軽い痛みがあるとの症状を訴えた。

これに対し、被告は、腹部触診では平坦で柔らかく、圧痛もなく、しこりも触れず、直腸指診でも、出血がなく、腫瘤やポリープも触れなかったので、胃腸炎と診断して五日分の胃腸薬を処方した。

2  保夫は、初診から一二日後の同月二七日、再び被告医院を訪れた。服薬しても保夫の症状にあまり変化が認められなかったので、被告は、検便をするため保夫に検便容器を渡し、やはり五日分の胃腸薬を処方した。

同年九月三日、保夫が便を被告医院に持参したので、被告はこれを検査に出した。同月六日ころ、潜血反応が認められる旨の結果報告書が被告医院に届いた。そこで、被告は、同月八日の診察の際、保夫を問診したところ、症状に変わりはなく、便に血液も付着していないと答えたため、精密検査をした方がいいと判断し、保夫に対し、精密検査として胃腸バリウム検査、直腸鏡検査及び注腸バリウム検査の説明をし、これらを受けるように話したうえで、七日分の胃腸薬を処方した。

それから、同月二五日と同年一〇月二〇日に保夫が被告を受診した際も、一〇月二〇日の受診の際に保夫が腹痛はないと答えたほかは、症状にあまり変化がないことから、被告は、保夫に対し、精密検査(胃腸バリウム検査、直腸鏡検査、注腸バリウム検査)を受けるよう勧め、なお、注腸バリウム検査には若干苦痛を伴うことを説明したが、保夫は仕事が忙しいなどの理由を述べてこれに応じようとしないので、被告はそれぞれ七日分の胃腸薬を処方するにとどめた。

なお、原告らは、被告は保夫の症状を神経性の下痢ないし胃腸炎と誤診して、大腸に癌などの重大な疾患があることを全く考えず、保夫に注腸バリウム検査を受けるように勧めた事実はなかった旨を主張しており、〈証拠〉によれば、保夫は原告慎に自己の症状は神経性の下痢であると被告から診断を受けている旨を話していたことが認められるが、〈証拠〉によれば、同原告は被告から保夫が警察病院でいろいろな検査を受けることができる旨の説明を受けていたことを保夫から聞いていた事実も認められ、証人平出星夫の証言及び鑑定の結果(以下、両者をあわせて「平出鑑定」という。)によれば、注腸バリウム検査は、浣腸をしたうえ肛門に管を入れて造影剤であるバリウムを圧力をかけて肛門から注入してX線写真撮影をする検査であり、昭和五九年当時は現在ほどルーティーン化された検査ではなく、かつ、被検に苦痛を伴うため、医者が患者に受検を勧めても患者からこれを拒否されることがあること、〈証拠〉によれば、昭和六一年九月から平成二年三月までの間に、自ら申し込んだ便の血液反応の検査結果が陽性と診断された約七九〇〇名に病院での精密検査を勧めても、一か月内に検査は受けた者はわずか半数で、三度の催促の末に最終的に検査を受けた者も八六パーセントに過ぎなかったとの愛知診断技術振興財団による大腸癌検査についての追跡調査の結果がまとめられたことがそれぞれ認められ、これらの事実に照らすと、保夫は、被告から精密検査を受けることを勧められていたにもかかわらず、原告慎にはそのことを話していなかったと認めるのが相当である。

3  保夫は、その後しばらく被告を受診に訪れず、前回の受診から約二か月たった後の同年一二月一八日に被告を受診した。その際の保夫の訴える症状は、ときどき下腹部痛があるということのほか特に変化はなく、腹部触診によってもしこりが触れない状態であった。そこで、被告は、保夫に対し、直腸鏡検査や注腸バリウム検査を受けるのがいやならば、被告医院において実施可能で、仕事を休まずに済み、造影剤であるバリウムを経口投与するため苦痛もない胃腸バリウム検査をまず受けるようにと話し、同月二一日、被告医院において、胃腸バリウム検査を実施することとし、また、七日分の胃腸薬を処方した。

そして、被告は、同日朝、被告医院において、保夫にバリウムを飲ませ、夕刻撮影したX線写真により小腸にバリウムが残っていたのが分かったため、翌二二日に再度X線写真撮影をした。その結果、胃については特に異常が認められず、また、バリウムは下行結腸まで通過し、更に保夫がバリウムが便から出たと話したことから、被告は、腸閉塞の症状がなく、バリウムの通過障害はないと判断した。しかし、S状結腸から下の直腸については右検査では調べることができないため、被告はやはり注腸バリウム検査を実施することが必要であると判断した。そこで、被告は、同月二四日、受診に訪れた保夫に対し、X線写真を示しながら、胃腸バリウム検査の結果を説明したうえ、改めて注腸バリウム検査の必要性を説明し、同検査は被告医院において実施することができず、被告が週一回勤務している警察病院において同検査を実施するには予約が必要であることから、同検査を受けるために仕事を休める日を事前に連絡するよう話した。ところが、保夫は、四日後の同月二八日に被告の診察を受けた際も、一〇日分の胃腸薬を受け取ったのみで、その後約一か月間、受検日を被告に連絡して来ることはなかった。

4  保夫は、その後約一か月たった昭和六〇年一月三〇日、被告を受診した。そこで、被告が保夫を問診をしたところ、便に血液の付着はなく、腹痛もないが、相変わらず少量の便が一日五、六回出るということで、初診時から特に状態が悪くなってはいなかったが、再度検便をするため保夫に検便容器を渡した。そして、被告は保夫に対し、注腸バリウム検査を受けるのがいやなのであれば、先に苦痛の少ない直腸鏡検査を受けるように話し、同年二月七日に警察病院において被告の担当する直腸鏡検査を実施するため予約をし、七日分の胃腸薬を処方した。

それから、同月四日に保夫が便を持参したので、被告はこれを検査に出したところ、後日やはり潜血反応があった旨の検査報告書が届いた。

そして、被告は、同月七日、警察病院において、保夫に直腸鏡検査を実施した。同検査では、直腸鏡を約二〇センチメートル挿入したところ、便の付着はあったが、出血、腫瘤、ポリープはなく、ただ肛門から約一三センチメートルのところの後壁が直腸鏡で刺激され粘膜が少しただれていたことと切れ痔になり易い傾向が見受けられたのみで、検査結果として、直腸に関しては特に異常は認められなかった。

そこで、被告は、同月一六日、受診に訪れた保夫に対し、同月四日の検便の結果、潜血反応が出ていることと、直腸鏡検査の結果、直腸には特に異常は認められなかったことを説明したが、直腸鏡検査ではS状結腸とその上の下行結腸等を調べることはできないので、その部分を調べることのできる注腸バリウム検査を受けるよう勧め、同検査をするのに都合のよい日を連絡するよう促し、やはり七日分の胃腸薬を処方した。ところが、保夫は、次の受診日である同月二六日も七日分の胃腸薬を受け取るのみで、同検査の予約をしなかった。

5  その後、同年三月一日の診察の際に被告が保夫に問診したところ、初めて便に少し血液が付着しているとの訴えがあった。同月一一日の診察の際にも、被告は保夫に対し、注腸バリウム検査の必要性を説明した。しかし、保夫は同検査の予約をすることはなく、七日分の胃腸薬を受け取るのみであった。

それから、同月一八日の診察の際に、被告は保夫に対し、七日分の胃腸薬を処方するとともに、再度検便をするため検便容器を渡した。同月二三日に保夫が便を持参したので検査に出したところ、後日、潜血反応が二プラスであるとの検査結果報告書が届いた。そこで、被告は、同月三〇日の診察の際、保夫に対し、検便の結果を伝え、どこかで少しずつ出血していると思われるから注腸バリウム検査を受けるようにと強く説得した。すると、保夫もようやく同検査を受けることに決め、同年四月九日、警察病院において、同検査を受けるよう予約した。被告は、同日は同病院の外来患者の手術日で自ら同検査をすることができないので、同病院の大沢寛行医師に同検査を依頼した。

そして、同年四月九日、保夫が、警察病院において、大沢医師による注腸バリウム検査を受けたところ、S状結腸狭窄(癌)と診断され、検査後、大沢医師から電話で被告に検査結果の報告があった。被告は、同日夕方、被告医院を訪れた保夫に対し、癌であるということは告知せず、検査結果としてS状結腸狭窄であることが判明した旨を伝え、入院して手術をする必要があると説明し、保夫は同月一五日に警察病院に入院する手続をとった。

なお、保夫は右入院直前まで第一港運株式会社に勤務し、通関士としての業務を遂行していた。

6  保夫は、右同日、警察病院に入院し、同病院において、同月二五日、S状結腸切除等の手術を受けたが、術後イレウスにより、同年五月一三日、癒着剥離術等の再手術を受け、同年九月二五日、一旦は同病院を退院して、被告医院に合計二〇回通院して被告の診療を受けた後、同年一一月三〇日に警察病院に再入院し、その後は手術を受けることなく、昭和六一年一月二三日、同病院において五八歳で死亡した。保夫に対する最終診断は、S状結腸癌、肺転移、腎不全及び尿毒症であった。

7  なお、初診時の保夫の一日五、六回の少量の細い軟便の症状は、癌が既に早期癌ではなく、S状結腸の内腔の二分の一周から全周の範囲の進展をきたしており、その深達度は筋層を越えて粘膜下組織から漿膜に達しつつある状態となって、腸内容の通過障害を起こしていたためと推認され、その時点での癌の進行度は、左記昭和六〇年四月の手術時の進行度から逆算すると、Dukes B,Stage Ⅱであったと推認される。

次に、昭和六〇年四月二五日の手術時点においては、組織学検査によれば、開腹所見による癌の尿管への浸潤は認められず、癌の漿膜面への露出(S)とリンパ節への転移(n1(+))が認められる状態であって、その進行度はDukes C,Stage Ⅲであったと推認される。

三責任原因について

1  平出鑑定によれば、前記認定のとおり、被告が保夫の初診時、保夫から聴取した二週間ほど前からの一日五、六回の少量の細い軟便と軽い下腹部痛の症状と、腹部触診において平坦で軟らかく、圧痛やしこりもなく(S状結腸癌の場合、一般的に腹部触診では腫瘤が触れにくいことが認められる。)、直腸指診において出血がなく、腫瘤やポリープも触れないとの診察結果から、「胃腸炎」として五日分の胃腸薬を処方し、経過を観察することとしたことは、医師として相当な処置であったと認められる。

2  次に、平出鑑定によれば、服薬によって症状の改善が認められない場合は、食事制限のうえ便潜血検査(当時の同検査は肉類等の食物によっても鋭敏に反応するため。)及び直腸鏡検査を行い、便潜血検査の結果が陽性で同様の症状が持続するのであれば、大腸に器質的病変がある疑いがあり、注腸バリウム検査ないし大腸内視鏡検査を行い、併せて処方内容の変更も考慮し、さらに、上部消化管の出血の有無も検索することが、医師として相当な処置であることが認められる。

そこで、本件における被告の診療内容を検討してみると、前記認定のとおり、初診の一二日後の昭和五九年八月二七日に症状の改善が認められなかった段階で、食事制限の有無は明らかではないが、検便をするため保夫に検便容器を渡しており、同年九月三日に保夫が便を持参すると直ちに検査に出し、便に潜血反応が認められたとの検査結果を得た後、同月八日、保夫に精密検査として、胃腸バリウム検査、直腸鏡検査及び注腸バリウム検査を受けるよう勧めているから、被告の処置は相当なものであったと認められる。

3  ところで、前記認定のとおり、実際に、保夫が直腸鏡検査を受けたのは昭和六〇年二月七日であり、注腸バリウム検査を受けたのは同年四月九日であるが、被告は、昭和五九年九月八日以降、ほぼ診察の度に保夫にこれらの検査を受けるように勧めているのであり、これに対し、保夫は、被告が処方した胃腸薬が切れてしまってもなかなか被告医院を訪れないような状況で、断片的にしか被告を受診しておらず、診療や検査を受けることに消極的な姿勢であったと認められる。そして、医師としては、検査の実施が望ましいと判断しても、患者の同意が得られなければ、検査を患者に強制的に実施することはできず、ただ患者に検査を受けるよう説得するしか方法がないのであるから、仮に検査の実施が遅れたことが問題であるとしても、それは検査に消極的であった保夫の責任によるものというべきである。

なお、平出鑑定によれば、保夫の初診後約一か月間経過観察したうえ、注腸バリウム検査を実施すれば、保夫の結腸癌の発見は可能であったこと、昭和六〇年四月九日までに保夫に対し癌の治療を行えば、一般的には一年生存率が八六ないし九一パーセント、五年生存率は六〇ないし七三パーセントであったこと、同月の手術時の進行度でも一般的にはかなり高い一年生存率であったが、術後経過が余り順調でなく、一年生存も得られず死に至ったことが認められる。しかし、注腸バリウム検査がその当時ルーティーン化されていなかったことは前述したとおりであり、一般開業医である被告において、保夫から便に血が付着したことを聞き、検便の結果、潜血反応が二プラスと判明した昭和六〇年三月下旬までの間(それまでの間、保夫の一般状態にさほど変化は見受けられなかった。)、注腸バリウム検査を受けるよう保夫に強く勧告しなかったことをもって、被告に診療契約違反ないし注意義務違反があったとは言い難い。

以上の次第であるから、その余の点について判断するまでもなく、原告らの請求は理由がない。

四結論

よって、原告らの本訴請求はいずれも失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官太田幸夫 裁判官清水篤 裁判官成川洋司)

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